諏訪

長野の上諏訪町(現・諏訪市)では、

手長足長は諏訪明神の家来とされて




KING GNUの ”逆木”

坂木

坂城

榊と白い布

そして

あなたたち。


手長足長とタケミナカタが榊と白い布を背景に歌う




ほら、またエロ空海


”手長足長を封印した旅の僧侶こそ、

各地を修行中の弘法大師(空海)だったと言われている。”



白い布はヌナカワ姫を

榊はヌナカワ姫を祀る神官を現している


井口は手長足長にそっくり

常田はファーストインプレッションが衝撃的にタケミナカタだった




沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)

奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を「布川(ぬのかわ)」という。




祖父神意支都久辰為命の子である父神俾都久辰為命の子

奴奈川彦命と黒姫命の子

建沼河男命(たけぬなかわおのみこと)

沼河比売の長男で、越君の祖であるとされる。

かつて鈴木真年が収集した系図の中に、

建沼河男命より始まる社家の歴代を記した

「越後国沼名川社家榊氏系図」が存在したが、

既に散失してこの系図は現存せず、

現在榊家には歴代の夫婦を記しただけの簡単な系図が残るのみである。


建御名方神(たけみなかたのかみ)

沼河比売の次男で、須羽君(洲羽国造)、守矢氏の祖。

御穂須須美命(みほすすみのみこと)

『出雲国風土記』記載の子で、系譜・後裔関係は不明。



市野々(いちのの)の地名

 西海村字市野々の地名については、次のような話がある。

 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。

 豪族の駒は、尚奥へ逃げ込み、遂に石になってしまった。今根知村(現在糸魚川市根知地区)字梶山の向いの黒い絶壁に、白い馬の形となっている。その山も「駒ヶ嶽」といわれるようになった。

 市野々という村名も、元は「一奴奈」であったのが、「一布」となり、更に市野々と変わったのだという。



小学校3年くらいの頃から

私は守屋で縄文をめでる日々だった

小学校の目の前にあって

教育会館郷土資料室と図書館があったので

日曜になると一人で500円のお昼代もらって出かけて行った

一人で何時間も何時間も

ヒスイの首飾りやイヤリングやビーズを眺めていた

それだけじゃないよ

刀もすんごい眺めてて

いつも来ているからって言って会館のお兄さんとお姉さんが

硝子戸をあけて刀を出して見せてくれたりした


そんなころから引っ張られていたんだろうね、、、





目黒区守屋教育会館郷土資料室

 東急東横線祐天寺駅の南,徒歩8分。

守屋教育会館の1階にあり,昭和46年(1971年)の開設。

  縄文時代の土器や中世の板碑をはじめ,

考古・歴史・民俗に関する現代に至るまでの目黒を中心とする資料を収蔵し,

テーマ別に常設展示している。

目黒はかつては竹の子の産地として有名な地域だったため,

館内では竹の子を掘る道具など珍しい資料なども見ることができる。

*平成20年(2008年)、

「めぐろ歴史資料館」のオープンに伴い、資料などを移転して閉館した。



ちょっとまた睡魔に負けた、、、

MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

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