実田 実 they know all truth 5
風が吹く
嫌に嫌な風が吹く
私がバイトに行こうと自転車にまたがった瞬間雪が降ってきた
その降り方があんまりにも311の後の雪のようで
嫌な気分で出かけた
”どこか揺れたのか?”
そんな風に思っていたけど
大きく揺れたところはなかった
今、一段落して、またツイッター開いたら
妙なとこが揺れてたよ
グーグルでマップを開いてよく見なくても、そこには
金剛多和ノ宿 第六靡 (大峰奥駆道)
大黒天神岳
猿田彦大伸
玉置神社
元来ヒンドゥー教の主神の一つで、青黒い身体をもつ破壊神としてのシバ神(大自在天)の別名であり、仏教に入ったもの。サンスクリット語のマハーカーラMahākālaの訳で、摩訶迦羅(まかから)と音写。マハーカーラは偉大な黒い神、偉大な時間(=破壊者)を意味する。密教では大自在天の眷属(けんぞく)で三宝(さんぼう)を愛し、飲食を豊かにする神で黒色忿怒(ふんぬ)相を示し、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の外金剛部に入れられている。七福神の一つ。
中国南部では床几(しょうぎ)に腰を掛け金袋を持つ姿になり、諸寺の厨房(ちゅうぼう)に祀(まつ)られた。わが国の大黒天はこの系統で、最澄(さいちょう)によってもたらされ、天台宗の寺院を中心に祀られたのがその始まりといわれる。その後、台所の守護神から福の神としての色彩を強め、七福神の一つとなり、頭巾(ずきん)をかぶり左肩に大袋を背負い、右手に小槌(こづち)を持って米俵を踏まえるといった現在よくみられる姿になる。商売繁盛を願う商家はもとより、農家においても田の神として信仰を集めている。民間に流布するには天台宗などの働きかけもあったが、音韻や容姿の類似から大国主命(おおくにぬしのみこと)と重ねて受け入れられたことが大きな要因といえよう。
ガネーシャは象の頭なので 日本では猿田彦は鼻が長い.
ガネーシャの父はシヴァ 母はパールヴァティ.
元来はヒンズー教の神で,密教では大自在天の化身。
サンスクリットでマハーカーラ。
日本の民間信仰では大国主(おおくにぬしの)命と合一し,
頭巾をかぶり,袋を背負い,打ち出の小槌をもつ福の神として,七福神の一神となる。
この大自在天が他自在天と混同して
シヴァ=第六天魔王となったともいわれる
断言したことを書こうとするとわからなくなってしまうので、
いつも感じてることそのままだらだら書くのだけど
道祖神
塞の神
幸ノ神
これらはみんな石をまつってる
石神であるともいえる
すると
ぶっ飛んで断言すると
ミシャクジはシヴァということになる
このワードで検索したことなかったよ
で、してみると
まったく同じ方向性でブログ記事書いてる人がいる
まったく同じ方向
そして
まったく同じようにぐるぐるしてるね
結局答えにはたどり着けない
でも
実田 実 they know all truth
実田っていうのは、実は真田なんですよ。
サナダ
真田
眞田
佐奈田
早田
sanada
田んぼ
sanada
saruta
声に出して、英語みたいに サナダって言ってみて
サ ナッ ダア
何回も言ってみて
サ ヌッ ダゥア
サ ヌッ ダゥア
サ ヌッ ダゥア
サ ルゥ タア
大昔は文字じゃないから
すべて”音”
サルタヒコは
田の神
奉納用の田んぼのある地域
ようは神さんにお供えすることを前提で一般には手をつけない、もしくは神さんにお供えすることができるぐらい一級品的な米を採った地域(田んぼ?)のことを昔からそう呼んでいたらしいです、
古くは日本書紀にも「狭名田(さなだ)」と出てきますし、かの天照大御神が始められたといわれる五穀の田畑も「天狭田(アマノサナダ)」と呼ばれているそうです
多少、話は脱線しますが、日本書紀といえば、猿田彦命(さるたひこ)も
一連のサナダに関わっているとも言われます
猿田彦命は「鉄技術」に関する神さんでもありまして、古代の相模国には、高麗など大陸から製鉄技術を持ち込んだ移民が多かったとも聞いてますし、何か関連があるのかもしれません
良い米が採れる地域
「苗代田」(サナダ)という書き方も、その昔の文献にあったようです、
そもそも「苗代」(なわしろ、なえしろ)とは、種籾(イネの種子、籾殻つきの米粒)を密に播いて発芽させ、田植えができる大きさまで育てるのに用いる狭い田のことでもあります
つまり大元の田んぼ、重要度の高い田んぼということでしょうかね
また、「サナ」は「サネ(種)」を指しますし、大元の「サナダ」の読みはこの苗代田から来たのかもしれないですね、いずれにせよ、良い実がなる(?)田んぼ、というプラスイメージでしょうか、
ウチの相模&房総の眞田の古い表記にある「実田」という文字も、
ほぼこれに近い意味合いぽいですねぇ~、素直になるほど!と思わせるものがあります(w
狭い田んぼがある地域
もうひとつのパターンは、「狭ノ田」を指し、山合いの田んぼのような狭隘(狭い)田んぼを指してるというのもあります、これに非常に近い表記で「狭長田」というモノもあります
↑
こちら借りものですが、
実田は真田よりも前に歴史書に出てきます。
狭長田ってなんか象のイメージ出てこない?
狭い、長い 鼻
3.信濃國安雲郡眞田村
【現在の地名】:
長野県長野市を含む主に長野県北西部界隈(場所特定出来ず)
【史実を元にした地名発生時期】:
中世、鎌倉時代から南北朝時代
【地名表記】:
佐那田、佐名田、眞田、真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
清和源氏
【発生氏族のその後】:
不明 同じ信濃の小県郡に流れた可能性あり
4.信濃國小県郡眞田村
【現在の地名】:
長野県上田市真田
【史実を元にした地名発生時期】:
南北朝時代から戦国時代
【地名表記】:
佐奈田、眞田、真田など
【この地で発生した氏族の氏流】:
滋野氏(?)
信濃國小県郡は私の母の生まれたところ
母が育った山は黒曜石が星の糞ほど取れたところ
だから。星糞峠。
ヌナカワ姫のヒスイと星糞峠の黒曜石
黒曜石はなんでも削れる強いものだから、ヒスイとも絶対に関係があったはず
そう思ってちょっと調べようと思った瞬間目に飛び込んできたのが
これ
うちの母の田舎の家
おじいちゃんが自分で建てた家
この山の開拓に入って家族で暮らしてた
この山に入る前は和歌山の新宮の炭鉱に家族で来ていた
炭鉱でケガをしたじ~ちゃんは、長野の山の開拓に入ったそう
この家は私も小さいころに行ったことがあって
2階建てのぼろぼろの家は初めに建てたお家だけど
ぼろくなったので、物置や耕運機とか入ってた
私が行った時にはもうおじいちゃんはいなくて
ばあちゃんと母の弟とそのお嫁さんと子供が二人かな
5人で平屋で暮らしてた
この写真は
すごいサイトに載っていた
鷹山遺跡。写真奥の山が虫倉山で、左側のラクダのこぶのようなところから虫倉山の木がまばらなあたりが、国史跡に指定された星糞峠黒曜石原産地遺跡のあるところ。
鷹山遺跡の調査風景。左の写真は、背後に星糞峠が見えます。
調査区は、現在ブランシェたかやまスキー場の駐車場付近に設定されました。
ブランシェたかやまスキー場はじ~ちゃんが開拓した土地
母の弟が畑をやめてスキー場やペンションにして土地を売って、
自分たちはそこで食堂とかお土産とかやってたと聞いた。
大門鷹山
タカヤマ
だから何年か前に変な頭した大門という女の子の歌手が来たときも
なんとも言えなーい感覚になった
大門 弥生
avexが来たときかな
この写真が使われてて
キターーー
鬼の大門か~って思ったわよね
それた。
とりあえず
今日のさっきの熊野の揺れは
金剛多和ノ宿 第六靡 (大峰奥駆道)
↓
役行者
第六
大黒天神岳
↓
シヴァ
大国主
猿田彦大神
↓
ガネーシャ
玉置神社
↓
浜本
ってことで
私にとっては
答えで
だけども、
それはまた新たなるループに入りましたってことで
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