行かねば、、、って感じ
宝達山のふもとの神社
テハヤヒメ神社
手速比咩神社 上社 石川県羽咋郡宝達志水町上田出外(宝達山頂)
手速比咩神社 下社 石川県羽咋郡宝達志水町東間ラ2
tehaya
日本國土全部を御平定の後
出雲の國に凱旋せらるるに當り吾妻の地名を遺された次第です、
手速比咩命は大凡三千年の昔
越の國の國津神奥津久辰爲(おきつくしゐの)命の姫神にて
賢女にましませし事は古事記の沼河姫命の記事にておして知る可しであります。
泰澄大師は地方民の最も崇敬篤かりし山麓に祀りてある手速比咩神を尊崇致しまして
手速比咩神は常に此の森嚴なる寶達山に御鎭座ましますなりと
荊棘を拓きて嶺上に神祠を建てて
大御前と稱し其の下に伽藍を建立し次で僧坊七つを造營し
元正天皇の御時には勅願所に定められ戰國時代までは
神官社僧共に奉仕し神祠の尊嚴御神徳と共に
四圍を普照せしも世の變遷と共に遂に廢寺に歸し
僅に一小祠を存するに至れりと。
天正年間近江八平なる者御神託に據り
寶達山に金鑛の鑛脈を發見し前田利長卿藩費を以て之を採掘せられ
慶長年間嶺上神祠を再建して御神靈を手速比咩五柱神社と尊崇し
御祈願ありしと云ふ。
今尚伽藍跡、坊屋敷、雄池雌池の遺跡を存せり、
教のあと徴すべきであります。
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僅に一小祠を存するに至れりと。
寶達山に金鑛の鑛脈を發見
中央構造線
フォッサマグナ
羽根ライン
はるか昔に調べたことで
UFOに何度も遭遇してるくせに
なぜとんでもよってスルーしちゃうのかわからないけど
でもそっち系の話とはまた別に
気になる場所なのよ
血脈的に
細胞の記憶的に
宝達の反対側の氷見に行ってきたのよ
宝達と氷見の真ん中あたりには
大彦命や道君の神社もあるのだけど
行った当時はそこまで調べが進んでいなかった
知ってはいたけど、繋がっていなくて
なんとしても行こうとは思わなくて
氷見にはハマモトがたくさんいて
それで行ってきた
ベースは
縄文、白山、オオヒコ、道君
手速
手羽矢 かもしれないね
地図をズームすると
”速川”
日名田少彦名社
速川神社(氷見市早借)
創祀年代は不詳。早借(はやかし)と速川(はやかわ)の類似が
式内根拠となっているという。
御祭神は瀬織津比売命(瀬織津姫)
大祓詞には、ズバリ
『*速川*の瀬に坐す瀬織津比売と云う神、大海原に持ち出でなむ.....』と登場
久目神社
小久米神社
諏訪社もあちこちにある
その時の目的地は
赤印の大境洞窟住居跡とそこにある白山神社
ここへ向かう途中の海辺にハマモトの集落があって
そこを通りながら、行きはタクシーで現地へ直行して
帰りはずっと氷見の駅まで歩いてきた
途中真ん中の方に入って行って宝達に行こうかと思ったけど
バイトもしてたし休みとって言ってたので
無謀か、、、とつぶやいてやめた。
氷見から電車に乗って、そのまま糸魚川へ直行した
糸魚川からまた歩いて、いくつかの神社へ行った
電車もバスも頻繁に走ってないからね、、、
糸魚川に着いた時には、
そのまま真ん中の電車に乗って長野を回って帰ろうか、、、とか思ったけど
あ、それも無謀か、、、ってつぶやいてやめた
で、富山の駅に戻って、そこから石川を回ってバスで帰ろうか、、とか思ったけど
いやいやだから、無謀だって、、、とつぶやいて
まっすぐ深夜バスで大阪まで帰ってきた
せっかくあそこまで行ったんだから
バイトなんか休んじゃえばよかったよな、、、
私が糸魚川に行った後に
糸魚川市大規模火災は、起きた。
新潟県糸魚川市において
2016年(平成28年)12月22日昼前に発生し、
翌日の夕方の鎮火まで約30時間続いた火災である。
一族〜奴奈川姫
一族の神社に行ったときに
すでに次の道しるべをもらってた
突然ひらひらと目の前に落ちてきたのよ
くるくると回りながら
幾つもの意味が込められた白い羽根
”大毘古命=大彦=登美の長髄彦
建沼河別命は大毘古命の息子”
という説もあるけど
私はあんまりぴんと来ない
イコールはぴんと来ないけど
同族ではある。
今晩詰めて調べたいのは
テハヤ
Tehaya
Te haya
もうそろそろバイトモードに切り替えなくちゃ
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