阿部兄弟
阿部兄弟
阿部の一二三ですか
あらあらあら
66キロ級
阿部 詩(うた)
だけど
阿部 し
阿部氏
オリンピックにも柔道にも全く興味がないので
今日ちらっと見えて新聞の見出しではじめて
阿部兄弟
阿部の一二三なんて知ったけど
なんという運命なんでしょうね
偶然なんてない
必然
もしくわ
仕組まれた物事
仕組まれた事象
阿部のサイン
阿部一二三(23) 66
阿部 詩(21)
阿部祝子 88
阿部はコトシロヌシの系譜
古事記の中では
事代主とタケミナカタは
”兄弟”
阿部と安倍は同じじゃない!!
これはずーーっと前から言ってるんだけども
ここを解こうとすると催眠術かかってしまって
わかっちゃいるんだけど、なかなかスカッと言葉にならない
でも、もうわかっちゃたじゃない?
本当の唯一正義の存在なんてこの地球上にないって
正義はあるとしても、それは
『 デビルマン 』みたいなもんだ
私の血がどちらかと言ったら国津だろうと思ったりするもんだから
って書きながら
日本人って
たいがいの人が
日本は島国だったから単一民族とかって思いこんでるでしょ
100%純粋な日本人だと
なわけねーだろい
って
だけども、もし、すべての日本人がみんな、自分の出自を知ったら
間違いなく、分断されるね
想像してみてください。
そういう意味で、
日本人はものすごく
深い深い
強い強い
洗脳をされて続けているんでしょうね
ずっとずっと。。。
日月神示は ひふみ神示ともいうのです。
で。
今日の阿部の一二三を受けて検索したら
出てきたわよ
0六十三八ニ五九一七四
0→「日月神示」でしばしば「ア」と読む
六→数字と類似したキリル文字で「べー」
十→十字架=神を表し「シン」と読む
三→ゾウ
八→は
ニ五九→ジゴク
一→ノ
七四→ヌシ
並べると
「アベシンゾウハジゴクノヌシ(安倍晋三は地獄の主)」
不思議なことなんだけど
事代主のことを調べ始めてすぐに
この役職名事代主のうちの一人は絶対に”阿部”だな
って、わかったの。。
そしてさらに調べていくうちに
事代主を追ってるはずが
そこに現れてくるのが大彦命というひとで
今度その人のことを調べていくうちに
あれ????
この人も阿部だなってわかったの。
わかったので、
そのように調べてみるとやはり両者とも阿部だったの
ね
神話を調べてたはずが
急に
現実の人間が出てくるわけよ
オオクニヌシとコトシロヌシ
オオモノヌシとスクナヒコ
大彦命と少名日子建猪心命(日本書紀では少彦男心命)
神話から急に現実の人間
そのまま続けて調べようとすると
また
ヤマトタケルとかの話になって、また物語っぽいでしょ
まあ、、うそを書いたとかまで言わなくてもいいよな
現代だって、
坂本龍馬とかさ、明治の偉人を、
えらくすごく書き上げて、ものすごい映画を作ったりするじゃない
記紀もそのほか残る神話や物語もそういうもんだと思えばいい
でたらめとか作り話とか怒らないで。
『 ねこにきづけよ 』
『日本書紀』での名は
大日本根子彦国牽天皇
欠史八代の一人で、実在性については諸説ある。
系図を見ても無理矢理感
第一皇子:大彦命(おおひこのみこと、大毘古命) - 四道将軍の1人。
阿倍臣・膳臣・阿閉臣・狹々城山君・筑紫国造・越国造・伊賀臣ら7族の祖
私の確か、一番初めの一人旅の時かな~~
孝元天皇ゆかりの地に呼ばれたよね~
ま、でもその時はまだ大彦命にたどり着いていなかったし
『天皇家』 とは
縁もゆかりもないわけだから
なぜそこに引っ張られていったかもわからなかったので
孝元天皇の宮は通り過ぎただけにしちゃったけど
ものすごい距離をほぼほぼ徒歩とキックボードで移動していたからね
この時は益田岩船に行くのに、素通りしたのよね
宮(皇居)の名称は、
『日本書紀』では軽境原宮(かるのさかいはらのみや)
『古事記』では軽之堺原宮
宮の伝説地は、現在の奈良県橿原市大軽町・見瀬町周辺と伝承される
見瀬町では、
牟佐坐神社(古くは「境原天神」とも)境内が宮跡にあたるとして
参道に「軽境原宮阯」碑が建てられている
ただこの
『 牟佐 』には
過敏反応してたけどね
アマテラスを頭に持ってこなくちゃならないから
無理矢理感満載なのよ
どうーーーーしても隠したい系図がある
その系図を消して
都合の良い系図に作り上げようとしても
出来事をそのまま使って物語を書いたものだから
よくよく調べられたら、無理矢理感にすぐに気づく
記紀を知らない日本人ばかりだからね
日本がどこぞの国とかに乗っ取られようとしている現代を見ても
わかるでしょ
自分の国の本当の歴史さえ知らない
そういう国はやがて滅んでゆくんだってさ
今私の頭の中には
阿部氏=物部氏 + 奴奈川姫
こういう構図
で、検索したところ
出てきたわ
物部彩花は京都府出身
物部彩花(もののべあやか)さんのコンサート「魂がふるえる瞬間を共に。古(いにしえ)の調べ」が18日夜、糸魚川市寺町2のライブカフェ「ひすいの海」で開かれた。糸魚川での初ライブに、遠方のファン、市民ら約30人が参集し、パワフルで情感あふれる歌声、繊細な歌詞のメッセージに酔いしれた。
物部彩花さんライブコンサート 「奴奈川姫の郷」で
糸魚川市「ひすいの海」で18日
奴奈川姫は阿部と結婚したけれど、糸魚川に戻っているので
阿部姓ではないが
阿部とも結婚を通じて同族であった
息子のタケミナカタには阿部の血が流れている
牟佐 むさ ムーサ (ムーサ=モーセ)
阿部 アベ アーベ (音だけ意識したら ”ヤーウェー” ヤハウェ)
物部 もののべ (牛を信じる勿れ)
この物部さんにも変な運命があるんだねい
この人
エイベックス海の家が白浜に来た時にやってきてた
”大門弥生 ” さんに顔が似ているな。
この人の知った時も過敏反応したのよ
大門はうちの母の地元
そして
弥生
このPVはJul 27, 2013
私が白浜にやってきたのは
2013年の3月でお店完成してオープンが5月
エイベックス海の家は2016年くらいだったかしら
大失敗だったと思うけどね、、、、、
だってビーチにないんだもん
ありゃりゃりゃりゃりゃ
新潟県糸魚川市長者ヶ原遺跡公園を舞台に
6:30になっちまった、、、、
自分の調べたいこととはちょっと違うけど
まあ、、なんだかそこここに神仕組みがあるみたいね、、、、
私の体を作る細胞とその細胞の記憶は
”阿部” だと知っていた。
私も ”阿部系列” だから
”安倍”が許せないんだわね
『国造本紀』では、
「高志深江国造(こしのふかえのくにのみやつこ)
瑞籬朝(崇神天皇)の御世に、
道君(みちのきみ)と同祖の
素都乃奈美留命(そつのなみるのみこと)を国造に定められました。」
とあり、これは
孝元天皇の御子大彦命の後裔である阿倍氏の一族と云われている。
それと、名前が似ていて混乱してくるが、
いわゆる越前方面に高志国(現・石川、富山、新潟県又は福井県福井市周辺)が
あったとされる。
ここの国造も大彦命の後裔である阿倍氏の一族と云われている。
高志国造
志賀高穴穂朝(成務天皇)の御世に、
阿閉臣(あべのおみ)の祖・屋主田心(やぬしたこころ)命の
三世孫の市入命を国造に定められました。
高群逸枝著 『母系制の研究(上)』での、
久比岐(頸城)国造の見立てである。
〝国造廃止後のこの地方の郡領は、高志公氏であって、
西大寺資財帳に「越後国頸城郡大領高志公船長」とあり、
大同類聚方に
「奴奈加波薬、越後国頸城郡奴奈加波神方也、允恭御宇奏之、
元者少彦名神伝方也、祝主古志公村主家方」
「奴乃加波薬、越後国奴乃川神社伝方、元者少彦名神大己貴神剤、古志公村主等家方」
等と見えて、
頸城国造高志公氏によって奴奈加波神社が奉斎されていること、
その奴奈加波神社には、
大国主命より伝承されたる神剤があることなどが窺われる。
奴奈加波神社とは式奴奈川神社である。
大国主命との事蹟等より考えるに、恐らく沼河比売を祭った神社であろう。
太田説にも、
「高志氏、此の神社の祝として、国造職なるより思へば、
恐らく此の比売の後裔と見るべきなり」とある。
この比売の後裔にして、
而も大和直の後裔でもあるとすれば、
前者の系統は連綿たる母系の継承として持続せるを意味し、
後者の系は、中間外来の父系であることを物語るであろう。
また、
大国主命との古事記神話に照らすならば、
大和直の系以前に、
此氏は信濃の諏訪氏と同じく出雲神系を称えたであろうことも想像されるし、
次に大和直系と並んで阿部系をも発したのではあるまいか。
大彦命の男建渟川別命は此氏の所生であろうと思われるのである。〟
(高群逸枝著 『母系制の研究(上)』講談社文庫)
(大国主)ー 事代主 タケミナカタ
(孝元天皇)ー大彦命 タケヌナワケ
(素都乃奈美留命)- 道君 屋主田心命の三世孫の市入命
道氏(みちうじ)は、「道」を氏の名とする氏族。
阿倍氏の同系氏族。
本拠地は加賀国石川郡味知郷
(現在の石川県白山市鶴来町付近)とする説が有力である。
姓は君あるいは公。
道氏・道君・道公
「道公」は「大彦命孫彦屋主田心命之後也」
社伝によると、成務天皇の御宇、
市入命が越後国の国造となって当地に来られ、
奴奈川姫命の子・建沼河男命の裔長比売命を娶り、
当社を創祀したという。
神紋は、何かの葉で作られた枝丸だった。
「神社名鑑」には、榊九葉とある。榊の葉かどうかわからなかった。
「式内社調査報告」に
( 宮司は榊氏の世襲 )
とあるが、それが理由か。
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