さやさや、、、そよそよ、、、

7月7日以来、

何かがささやいている

だけど、今の私は毎日忙しくて

毎日毎日いろんなことをしたり考えたりするので意識をそっちに向けられず

毎日毎日疲れて

いくらでも時間をかけて調べ続けるとか

そっちに意識を傾けるとかできなくて

そっちに対しての集中力も

そんなことばかりに時間と気を取られてる余裕も全くなくて

それでも

さやさや

そよそよ

キーーーーーーーーーーーーーンっと

うるさくて


いま目に見えていることと

自分の中に沸いてくることと

それらを統合できなくて




そ。


待ちに待った蓮が咲いた今日、







今日は18-24までバイト

私ブログをまとめるのに、ほんとに毎回すごく何時間もかかる

まとめてから書くと書けないので、いつもメモ状態でUPをくりかえしながら

数時間かけて書き終わる



7月7日

たちばな

はまもと

蓮が咲いた




今までさんざん20年近く調べ続けて得たキーワードだけが

脳内コンピューターの中で浮遊している状態


でも今日、蓮が咲いたことと



橘湾


いろいろなことで


なんとなく、解くべき方向性が見えてきた感じ


ツイート投稿から


なぜか突然香川県まで行ったことがあるけど、

私の大嫌いな空海の故郷よね

でも、私が行ったとこは

空海のマーキングはなかったかな


古くは富士塚町とも書いた。

天保元年(1831年頃)、

香川郡中ノ村から分離し藤塚町が成立


藤塚町

ここを教えてくれたのも、

マイケルHOAXがらみで現れた自称イギリスにUFOで落ちた宇宙人ROY


香川には讃岐七富士



「昭和三十年ごろから始まった採石は、たった四十年で山を半分にしてしまった」と

地元の人たちは顔を曇らせる。

高度経済成長期、山は削られ続け、道路や建設資材になったという。

繰り返される発破に「需要があるから止まらなかった」。

権力も金もない住民たちになすすべはなく、

騒音と振動、そして粉じんに毎日、悩まされた。

「自然との共生」。

そんな言葉もいまほど声高でなく、

経済効率が優先された時代の出来事だ。


白山(東讃富士)には登ってきた


藤塚=富士塚で、確実にそこには富士信仰の富士講があったはず。

私が登った白山富士は明らかに

人の手で富士を模して造られたところが多くみられた


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孝明天皇血統

仁孝天皇


光格天皇


父親閑院宮典仁親王(慶光院)

母親大江磐代


寛政11年(1799年)、聖護院宮盈仁法親王が

役行者御遠忌(没後)1100年である旨の上表を行った。

同年、正月25日に権大納言烏丸光祖を勅使として聖護院に遣わし、

神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡号を贈った。



1744年(延享元年)に伯耆国倉吉(鳥取県倉吉市)で、

鳥取藩の家老荒尾氏の家臣だった父・岩室宗賢と、

鉄問屋の娘であった母・おりんとの間に生まれる。

幼名はおつる。


9歳のときに浪人して町医者となっていた父・宗賢とともに京に上がる。

養女となり、櫛笥家に仕えるなどの経緯をへて、

十代のころには橘姓を名乗り「大江留子」として

籌宮成子内親王の侍女となった。


大江 磐代(おおえ いわしろ、1744年(延享元年)- 1813年1月11日(文化9年12月9日))

閑院宮典仁親王の女房。

光格天皇の生母で、

明治天皇の高祖母にあたる。

院号は

蓮上院





役行者の投げ入れ堂 三朝町にも近い

賀茂地名

白山系あり





2つ、3つ

解かなくてはいけないことがありそうだね


でも、結果的にそれは一つのこと。

全部つながってる一つの事。




ちょっと集中力切れたので

動画をどうぞ



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グラフェン と 酸化グラフェン と 新型酸化グラフェン

グラファイトが剥がれて

厚さが原子1個分しかない単一層となったものはグラフェンと呼ばれ、

金属と半導体の両方の性質を持つことから現在研究が進んでいる。

採掘は、

スリランカのサバラガムワ、メキシコのソノラ、カナダのオンタリオ州、

北朝鮮、マダガスカル、アメリカのニューヨーク州などで

商業的に行われている。


日本でも、かつて

富山県で千野谷黒鉛鉱山が稼働していた

千野谷黒鉛鉱山(せんのたにこくえんこうざん)は、富山県富山市(旧大山町)に存在した鉱山。富山地方鉄道上滝駅南方12キロメートルほど、小原地区河内集落のはずれに位置した。明治時代から昭和時代にかけて稼働し、一時は日本唯一の黒鉛を生産する鉱山として活況を呈した

 富山県上新川郡大山町

富山県富山市下大久保


鋳鉄(ちゅうてつ、いてつ、cast iron)とは、

通俗的には、鉄を使った鋳物製品全般、またそこに用いられている鉄のこと。

学術・産業上は、炭素 Cを2.14 - 6.67%、ケイ素 Siを約1 - 3%の範囲で含む鉄 Feの三元合金の意味。

Fe-C(2成分系)状態図の共晶点(炭素含有量4.2 - 4.3%)付近で融点が低いため、溶融させた金属を型に流し込み製造するプロセスの鋳造に用いられる。銑鉄に比べてケイ素Siを多く(約1 - 3%)含有しているものが用いられることが多い。

鋳鉄は多くの炭素を含むため、組織の中にグラファイト(黒鉛)が晶出する。晶出する黒鉛の形状は、冷却速度や、合金成分によってかわり、それによって強度が変化する。ねずみ鋳鉄(普通鋳鉄)では黒鉛が片状に析出するため、伸びがなく硬くて脆い。一方で黒鉛が球状に析出させるように工夫して靭性を向上させたものが、ダクタイル鋳鉄(球状黒鉛鋳鉄)などである。

また凝固材料は一般的に、凝固収縮に伴う様々な欠陥を生じる。鋳鉄の場合、凝固収縮を黒鉛の晶出が相殺して軽く膨張するといった性質や、アルミニウムと違い比重が重いことによる静水圧による健全効果から、理想的鋳造材料ともいえ、巨大構造体への使用はいまだ衰えることはない。

なお2.14%未満の炭素しか含まない鋳造用の鉄鋼材料は、鋼の一種として鋳鋼に分類され、鋳鉄とは区別される。




2018年にすでにこの動画

計画済みで、

私たちをサイボーグ化しようとしているんだねええ~

この世界を支配する素材?グラフェンとは 


グラフェンはヒヒイロカネだね、、、、、、、

ヒヒイロカネは、古史古伝における太古日本で様々な用途で使われていたとされる、

伝説の金属または合金。

緋緋色金、日緋色金とも表記し、

火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、

青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。

現代の様々なフィクションにも登場する。


ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、

太古日本(神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期)では

現在の鉄や銅と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。

特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという。

三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる。

性質

その比重は金よりも軽量であるが、

合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、

永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。

また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、

ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、

木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。

太陽のように赤い金属とも、輝く金属とも言われる。

触ると冷たい。

表面が揺らめいて見える。

磁気を拒絶する。



良いものも悪人が使えば最悪なものになる






グラフェンとか持ち込むとまた複雑になってしまうので

ちょっと頭をクリアにしないと、、、


『竹内文書』によれば、

神武天皇以後の御世ではかなり希少な金属になっており、

祭祀用の鈴や剣、装身具、富山の皇祖皇太神宮本殿の屋根[1]などに用いられたが、

時代とともに資源が枯渇したのか、

精錬技術が失われていったのか、

雄略天皇の時代に日の神十六菊形紋の鏡を二枚作ったのを最後に

ヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。



ねえ。

みんな縄文の暮らしに戻らないと、って無意識に言ってるけど

みんなが言う縄文の暮らしと

ほんとの縄文の暮らしは全く違う世界だったかもよ


縄文人を土人みたいな風に思っていたら

大間違いよね

私たちが見せられている縄文時代や縄文の暮らしって

弥生あっての物だよね

弥生アゲするための

原始人的な

原始的な暮らしをしていた人と

その時代


そこも抜け出さないと

なんかえらい間違いをおかしそうな気がしてきたよ



もう16時なので、ここでいったんUPする


あとは帰ってきてから、ちょっと集中してみるよ



MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

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