私の周りの何も考えない人のために
そんな人でも大切だと思うから
私は自分の見たい世界を見ることもなく
どん底をはい回って
いつもいろんな情報探して調べてる
守りたいから
いざというときに守りたいと思うから
でも、届かないのよね。。。
そんな気持ちすら、、
見たい世界だけ
見て生きていきたい
それを知ってるのに
見たい世界が見えない
私だって
なーーんも考えないで
なーーーーんも知らないで
生きていけたら
こんなにもどかしい悔しい気持ちにいつもならずに済んだのに
私だって
見たい世界だけ
見て生きていきたい
それを知ってるのに
見たい世界が見えない
私がどんだけこれまで適当な人間だと思ってるのよ
どんだけ好きなことだけして好きなことしか見てない人間だったのよ
他の人の事なんてどーでもよかったのに
そうよ
そうだよ
自分さえよければそれでよかったような
ビッチだったのよ
それなのに、、、、
それなのに。。。。。
死なずに済む人だってたくさんいるんだよ
まだまだ楽しい未来がいっぱい続くんだよ
それをたった一つの選択のミスで
すべてを失うことになるかもしれないというのに
もっと強引に詰め寄って知らせるようにしたら
防げたのか
もっともっともっとこうしてたら、ああしてたら
もっと早く知らせてたら、、、
そんなふうに
考えると悔しいことばかり
もどかしく
悔しく
わからせようとしても
そういうのって全く理解されない
だから私は自分の生き方でそれを知らせたいと思うようになった
だから東京も離れたし
一人ぼっちでこんな田舎に家まで買った
私を知った人が
私の生きざまを見て
なんか少しでも気づいてくれたら
気づいて、聞いてきてくれたら
そういう思いでもって
ここにこうして
じっとしている
19日にお隣のおばちゃんが亡くなってしまった
周辺の老人たちはみんなワクチン接種をいつの間にか済ませていた
おばちゃん
梅採りの疲れと、梅採りを手伝いに来ていた息子や孫たちが
いっき帰ってしまったさみしさとで
気持ち的にも下がってしまってたみたい
いつもの氏神さんの下のおばちゃんがそう言ってた
隣にいたから、今日は静かだなくらいはわかるから
私にもっといろんな余裕があれば
ずうずうしくお茶に呼ばれに行ってたらよかったのに、、、とか
おばちゃんが亡くなったその日は、息子さんがまた来ていたのでよかったけれど。
亡くなる4時間くらい前に
私のところにもキュウリを持ってきてくれて
その時は全然いつもと変わらず元気そうだったから
ただ、、、、
この1,2か月
おばちゃんの顔が違うのには気づいていた
全然違う顔になっていた
入れ歯のありなしだけの事なのかわからないけど
あれ?マスク取ったらおばちゃんこんな顔だったっけか?
おかしいな、、、って思っていた
だから、もっと気にかけてたら、、、、
寿命
それで蓋をするしかないのか
本当によくしてくれたおばちゃん
もう少し、自分が落ち着いてきたら
おばちゃんじゃなくて
お母さんって呼ぼうと思ってた。
短い間だったけど
ほんとにやさしくしてくれて
ほんとにうれしかった
さみしいし
くやしいし
納得できない
だから
また
自分の見たい世界じゃない世界を
這いずり回ってる
0コメント