開拓団の血



私の母方のおじいちゃんとおばあちゃんは

戦後開拓団で

和歌山の新宮に数年来ていたこともある

母ももちろん両親について戦後新宮に住んでいた

当時新宮にあった映画館によく行ってた話は昔話として聞かされていたのだけれど

私が世の中の矛盾に気づいていろいろ知らべはじめて

知ったことが

その映画館は鳥取出身の浜本さんがやっていた映画館で

その浜本さんは天河神社を広めるのにいろいろやった人で

今でも天河には彼の慰霊碑的なものもある

そして、同じ名前の白浜の浜本さんと母は結婚するわけで

それだけでも不思議なのに

私は鳥取出身の映画館経営の玉置にも天河にもゆかりの浜本さんが書いた

三部作の本を大事に抱えているんだけれども

その人が別名は

橘 香道




そういうことを調べるきっかけになったのが

2002年 思いやりの日

という


富士山の御殿場口5合目で行われたスピ系イベントで

そこに天河神社の柿坂宮司も来ていて

そこで護摩焚きをしたのだけどね


そこに行く朝に不思議な神様の夢と

とても不思議な写真を撮ったの


それががっつり調べ始める最初の大きなきっかけ


それがこの写真

このイベントに参加した年から

親子で何度富士山に登ったか


山頂の火口口をのぞき込む親子

過去に戻って起こったことを振り返ってみると、

ほんとにできすぎで怖い


そんなことのすべては


開拓

新宮

浜本

富士山

天河

玉置


そして現在。

すげーーーーーー開拓をしているワタスがいるわけで



私の母方のおじいちゃん、おばあちゃんが開拓した土地は

現在はスキー場になっていて


私も小さいころ何度かスキー場になる前の家に行ったとこが勿論ある

そこは黒曜石の土地で

星糞峠

母の実家の裏山がまさにそれで


私が小学校の頃の行きつけは

学校近くの”守屋”教育会館の歴史資料館

小学校低学年の頃から意味不明の”縄文好き”で

学校が休みになると350円持って一日教育会館で縄文土器やアクセサリーや服を見ていた

350円は当時トーストとコーヒーのセットの値段

お昼を食べたから家を出て、夕方館が閉まるまでいるんだけど

途中でおなかがすくから350円持ってトーストセットを食べて

いろんな階を見て回るという

謎の小学生

友達と遊ぶより縄文アイテムを眺めていたかった


そんな私の母の田舎が

じ~ちゃんばーちゃんが開拓した鷹山遺跡群のふもと

それを知ったのも、いろいろ調べてた時に

なんとその田舎の家が映ってる写真が出てきて

そしてそこが鷹山遺跡群だったと知ったわけ





現在ブランシェたかやまスキー場の駐車場付近に設定されました。



この大門鷹山の田舎の母の家の周辺は当時一切家がなくて

小さいながらにいろんなことを覚えてる

この写真を見たときにひっくり返りそうになった

小さいころの記憶のそのままの写真

この本は母の弟が書いたもの。


母が亡くなって、そのあとすぐ夢でやってきたときに

隣に母と同じ年くらいのよく似たおばちゃんがニコニコ笑っていたのだけど

多分それはおばあちゃんだとすぐに思った

私がまだ2歳か3歳くらいの時に亡くなってしまったので

記憶の中ではほんとにおばあちゃんって感じだったけど

母と同じ年くらいといっても

うちの母も若く見えるから

その母と同じくらいのおばちゃんでね

なので、改めておばあちゃんの写真を見てみたら

そんなにクシャクシャなおばあちゃんではなかったんだよね


草刈りして、耕して、平らに整地して

すごく体は痛いけど

やったこともないことだから

もっともたつくかと思ったけど

割と簡単にできちゃうんだよね、、、、、

我ながら整地得意かも、、、、みたいな


それきっとじ~ちゃんやばーちゃんの細胞の記憶はいってるね




ありがとう

じーちゃんばーちゃん

私の中にいろんな種を入れといてくれて



多分近所の人たちみんなまた驚いてるわよ


そして上の写真の正面ちょっと左側の、国道のところに

あそこに文里から橋が通ってその出口ができる予定

流れが変わるよな

人の動きもそうだけど、

それだけじゃない流れ


そう考えただけで

自分の中の流れも変わるよ

ヨシ!!って


そしてもうイメージが勝手に広がってるよ



このDNAの記憶

太古からの記憶

それを持つDNAをぶっ壊したくてたまらない奴らが

ずっと必死こいて

遺伝子組み換え品を作ってるわけよね

ワクチンもその一つ


消し去りたくても絶対消せないDNAの記憶

それは何が何でも守らなくちゃいけないと思うわ


土をいじりながらほんといろんなことを考える


みんな持ってる太古からの記憶


でももうだいぶ眠らされちゃってるよね

いちいち流行に振り回されてる人は

イコール洗脳度合いが深いってことよ


『こいつらどんだけ洗脳されてるか、

今度はこんな流行を作ってぶっこんでみよう』

そうやって、試されて、

そして洗脳度合いをチェックされてる


馬鹿の多いこと、多いこと。


ね、、、


ひとつ前のブログにヤンキーOLの映画の予告を張り付けたけど

普通の堅気のOLが馬鹿なヤンキーどもにブチ切れて

『 てめーらみんな殺してやるうううううう~』って

言ってたよね


中途採用の一匹狼的なヤンキーが入ってきて、

堅気のOLが変わっていったってストーリーなのかな


深いよね。




話を元に戻して

以下は

あるブログ記事とリンクを拝借


史郎さん

【真説】国譲りの真相 諏訪の縄文の神々を追放した出雲の武甕槌命の話

お久しぶりです。

諏訪のミシャグジとタケミナカタ、またタケミカヅチ、アマツミカボシなどの考察です。

タケミナカタの権勢が大きい今、タブーに挑戦です。

−−−−

古来、黒曜石は「矢の根石」であり「星糞」と呼ばれた。

そして、天津甕星は星の名のつく神だ。すなわち黒曜石を産する人々の神だ。

列島には、多くの黒曜石産地がある。

代表的な産地は、隠岐(出雲) であり諏訪(出雲神) の霧ヶ峰だ。

諏訪大社下社の裏山で黒曜石を産し、上社の守屋(矢) 氏は「鏃(矢じり) を差配した。

出雲族は隠岐の黒曜石を差配し勢力を広げた。

そして諏訪の黒曜石も手に入れ、縄文人を制覇したのだった。

これが国譲りの正体ではないかと私は思う。

日本書紀巻第二 ?代下

第九段 (一書第二)【読下し】

一書に曰く、天神、経津主神・武瓶槌神を遣して、 葦原中国を平定めしむ。時に二の神曰さく、「天に悪しき神有り。名を天津甕星と曰ふ。またの名は天香香背男。請ふ、先づ此の神を誅ひて、然して後に下りて葦原中国を発はむ」とまうす。

すなわち、日本の正史では『天津甕星』を、天有惡?(天に悪しき神有り) とする。



タケミナカタの話の骨幹は、

黒曜石の利権を巡って、

隠岐の黒曜石を支配していた出雲族が

やがて諏訪の黒曜石をも簒奪した経緯がであるが、

追いやれた天津甕星(あまつみかぼし),星神香香背男(ほしのかがせお) らは

まつろわぬ鬼神とされ、

経津主神・武甕槌命らに追われた。


「武甕槌命」は、

文字通り甕星を槌撃した人のことである。


列島はこうして縄文の神々が消されいった。

列島では、

旧石器時代〜縄文時代、

すなわち鉄鏃(てつぞく) が入る2〜3世紀までは、

黒曜石を加工して鏃(矢じり) を作った。

それを先端に鹿角製の「根挟み」を付けた弓矢または槍に装着して、

あたかも鉄砲球を打つかの如く鏃を放った。

だから鏃は大切な武器でありかつ狩猟の道具であるが、

しかし消耗品であった。

天香香背男を祀る神社や天津甕星を祀る神社は全国に百社近くある。

また天香香背男を祀っていたが

現在は征服した布津主を祀っている神社の数は相当なものだろう。



それらの星神社は不思議なことに信濃にはほとんど無い

かわりにあるのが「ミシャクジ(御石神)」である。


守矢神長官家は


「諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や

生神・大祝(おおほうり) に降りてくる精霊を中心に営まれます」


とするが、

そもそもミシャグジ神は

「守矢一族」の守り神であり黒曜石を支配していた一族の神だった。


歴史は移り変わるから、

武南方神は、

黒曜石を簒奪した侵入者だった」

などと今さら言っても詮無いことだが、

いつまでも「まつろわぬ鬼神」とはたまらない。


先の大戦で敗れた日本人は、

野蛮人だったと言われているのと同じだからである。



タケミナカタを弥生みたいな書き方する人もいるけど

縄文

古代出雲

古諏訪

だよね


ってことで、そういう意味でも


実田 実 they know all truth なんだよな


ほんとだれよ

これを教えてくれたのは。。。。




続きがあるのよ


私がそれらの一族のことを考えていると

大体揺れるのよ


このブログ一番初めに公開したのは

2021.05.28 21:10

だけどそのあと4,5回更新して完成しているんだけど

今も続きを書き足して更新中

今現在は2021.05.29 11:19

ここにはね

星神社があるのよ

なぜかここの神社のことを知って

行ってきましたよ

だーーーいぶ前に。


星神社(無格社 上湯又 天香々背男命)

星神社(村社 三ツ又 天香々背男命)


私の前のバイト先にあとからやってきた調理長が

なんとまさかのこの村の出身の人で

私も驚いたけど、調理長も私が星神様に行った話をしたら

すごく驚いて、なんとマニアックな!!って言ってた。

神社の土地自体もとても不思議な場所だそうですよ。

そうでしょうとも。


隕石が落ちたっていう話とともに、

星神の天香々背男命が祭られてるので

ここにもタケミナカタの一族がやってきたのでしょう

私は、先住の丹生の民と同族と思っているんですよ

周辺には丹生の地名もあるし

龍神社(無格社 丹生津比売命)

だけでなく丹生神社もたくさんあるの。

丹生津比売命がたくさん祭られてる


丹生津比売命

丹生 (にゅう にう たんじょう)

丹生津比売 の 

津は ”の” という意味なので


にうのひめ

Niu no hime

Nu no hime

ぬう の ひめ

丹生津比売も水だったり龍だったりにあらわされるけど

それはイコール ”河” ”川” の姫ってこと


ぬう の かわ の ひめ

ぬのかわひめ

ぬなかわひめ


丹生

糸川

金屋

諏訪 (タケミナカタ)

糸魚川越 (ヌナカワ姫)

糸魚川

姫川

田屋

能生(のう ぬう にう にゅう)

そして

大洗

オオナムチ

コトシロヌシ



ここも大変な土地


大洗磯前神社

オオナムチ(オオクニヌシ)

子 事代主神、建御名方神 等

ってあるんだけど


オオナムチ=オオクニヌシではあるのだけど

オオクニヌシっていうのは役職名なので

たくさん名前があるんじゃなくて、

たくさんのオオクニヌシがいるんですよ


オオクニヌシ 社長

コトシロヌシ 副社長(次期社長)


私はこのオオナムチはコトシロヌシの中の誰かと思っていて

タケミナカタの父親はオオクニヌシだけれども

もともとコトシロヌシだった者の一人


ある時期まで

漠然とタケミナカタの父親はコトシロヌシのはずって思っていた

それは、あるとこからの事代主プッシュ





それと

私の中にはなぜか

『阿部と安倍は違う!!!認めない!!』

っていう感覚と

『阿部の事代主』

っていう感覚と

書物で調べるというよりも

自分の中にあるワードをいつも探してる感じ

それで答えが見つかったりしちゃうのよね

って書きながら

私の中から声が聞こえてくる

『 阿部はヤハウェ 』



オオナムチ

オオモノヌシ

=阿部の事代主

阿部の八重事代主

ヤヘ=YHWH


って、、、、、

それは置いといて



そんなわけで、書いてた中に出てくる

タケミナカタ

ヌナカワ姫

事代主

オオモノヌシ(オオナムチ)

の場所が揺れちゃうんですよ。


大洗磯前神社も行ってますよ。

それももっともっともっともっと前。

まだジェイスが小学校低学年の頃。


そしてもちろん

糸魚川も行ってますよ


なので今回は行ったことあるところが見事に揺れちゃったわけです。


与利幾神社は、大洗磯前神社の境内にあり、祭神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」です。大洗磯前神社の「境内社」の中で、本殿、拝殿、鳥居など一揃いを備えているのは、この与利幾神社だけであり、「境内社」として、大洗磯前神社が管理しています。

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町


磯浜

大洗祝町

弟橘比賣神社

MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

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