なんだかすごい映画の夢を見てたのは

常田タケミナカタのPVばかりを見ていたからだろう


常田君映画も作ればいいのよ

凄い暗くて嫌で悲しい、何とも言えないものが出来上がるでしょうね~


そこに光はあるのか?


みたいな。。。。。




世界は作れる


世界は作れるのよ


自分の世界


自分が作りたい世界


確実に作れるの




今抱える不安や心配も


あんなに恐れることはなかったと


あとで思えるってわかっているのに


なんなんのだ


この正体不明の不安は。。。


オリンピックがどうなるか


世界ががらりと変わるのは


そう遠くない未来





悔し泣きだけはしたくないよな


って



すごくすごく思う。



だから言ったじゃなーーい!!!!!

とか

いやいや、、、あの時帰っていればーーーー

とか








私は今本当にラッキーで

自分のやりたいことを全部形にしている毎日を送っている

それがお金になるならないじゃなくて


自分の中に眠ってた形にしたいもの全部を外に出していけてる


それって本当はすごくハッピーなはず


小さな夢も


大きな夢も


どんどん叶って行ってるわけでしょ




多分私


分離している



現実と


心とか気持ちとか意識とか



真逆の方向を向いている感じ



なので、


それがなぜなのかを毎日探してる



もう下弦の週だから

こんな気持ちなのだろうけど

母を亡くしたことで

なんか、
急にいろいろわかってきたこともあり

追いつかないんだ





おおおおお・・・




光と影の力は平等で

どちらの方に吸い込まれるかなど

ゆらり揺らぎ揺らぎゆらり

知る由もなく揺れ落ちていく

引きちぎって引き攣ったのさ

気づいた頃には後の祭りさ

どこまでも真摯に生きようと

強く思うたびに遠ざかっていく

にやりと戯けて見せて

するりと解けて消えた

不確かな存在は

若気煽りかそれとも陶酔か

ゆらり揺らぎ揺らぎゆらり

知る由もなく崩れ落ちていく

(※不十分の可能性)




常田

現長野県である信濃国小県郡常田庄が起源(ルーツ)である、滋野氏海野氏流。

現山梨県である甲斐にみられる。

一般的に「つねだ」の他に「ときだ,つねた,ときた」




私の血の半分も信濃国小県郡よ。



ははあああああ。。。あまり詰めて調べなかったけど


常田も


実田 実 THEY KNOW ALL TRUTH だわ。





上田は真田の地


不思議と隣町は”さかき”


常田は平安時代末期には存在していた古い集落で、

一時期は信濃国総社にも指定された科野大宮社という神社を抱えている地区だった。

同じ上田市内には信濃国分寺もあった。

常田地区から信濃国分寺は近い。

平安時代初期に信濃国府が松本市に移されるまでは上田市内に置かれていたらしい。

科野大宮社も恐ろしく古い神社で、

創建は崇神天皇の時代で科野国造だった建五百建命が作ったと言う。


そんな常田庄を治めていたのが常田氏で、

この一族は滋野氏→海野氏の末裔ということぐらいしか分からないらしい。

大昔からあった荘園の実力者ではあるので由緒ある豪族だったのかなー?

上田と言えば滋野氏(海野氏)末裔の真田氏、

元から上田に住んでいた常田氏も一応同族ということになるらしいが。

真田初代とされる真田頼昌の子が常田氏の養子に入っているので、

真田氏の近しい親戚になるらしい。

真田氏の近隣の豪族で敵対していた矢沢氏という豪族がいたが、

同じように真田頼昌の子が養子に入って敵対関係を解消した

(真田氏に従属させた?)そうで、

常田氏への養子というのももしかしたら同じ理由なのかもー? と思った。

常田氏も真田家の家臣として続いたそうだ。




ほほう。


まるでタケミナカタのおはなしだね


信濃とタケミナカタに絡まる神話は

真田と常田でもあるんだね



梶紋(カジモン)が付いていれば、

その神社は諏訪系と考えてよいそうです。上田市の神社には、梶紋の付いた神社が沢山

あることに気が付きました。その諏訪系の大本の諏訪大社の神様は建御名方命(タケミ

ナカタノミコト)です。建御名方命は大国主命(オオクニヌシノミコト)の息子です。

そして建御名方命は「当国開闢(かいびゃく)の神」であると市内のいくつかの神社の

由来に書かれています。つまりこの信濃の国を最初に開いた神様ということでしょう。

したがって梶紋の付いた神社が上田に多いということは、この地域を最初に開いた偉大

な指導者である建御名方命を上田でも大変崇敬しているということを表していると考

えられます。上田市内に沢山ある梶紋の付いた神社の名前は、諏訪大社の末社と考えら

れ名前がそのままの諏訪神社・諏訪宮となっているもの以外にも、名前が違っていても

梶紋がついているものが沢山あります。



「上田市内で梶紋のついた神社のリスト」

諏訪神社(蒼久保)

諏訪宮(木之郷)

畑山(はたやま)神社(上野区畑山)

足嶋(たるしま)神社(上野区五中近く)

柏山武事神社(住吉区大久保):梶紋+五三の桐

東條健代神社(住吉区宮山)

生塚(うぶづか)神社(常磐城<ときわぎ>)

大星神社(中央北三丁目):市内で二番目に氏子数が多い神社

科野(しなの)大宮(常田二丁目):梶紋+五三の桐、一番氏子数が多い神社

英神社(古里区染谷):梶紋+菊紋

国露津穂神社(国分区黒坪)

堀川神社(国分区下堀):御柱祭あり


古家神社(踏入区)

弓立神社(築地)

諏訪神社(仁古田)

塩野入神社(舞田):当国開闢の神=建御名方命の立札あり

塩野神社(保谷)

山田神社(山田):梶紋+菊紋

生島足島(いくしまたるしま)神社(下之郷):御柱祭あり



神話をそのまま信じて調べてる人の書いたものはあまり読まない

神社の由緒書きを見てもそれがわかる




上田の殿様は松平


松平氏(まつだいらし)は、

室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、

後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。

室町時代は伊勢氏の被官として活躍した。

江戸時代は徳川将軍家の一門、

あるいは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、

あるいは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも

果たした姓である。

現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。


上田市の隣に小県(ちいさがた)郡青木村があります。

その青木村に子檀嶺(こまゆみ)神社があります。

小県郡には延喜式内神社は五つありますが、

子檀嶺神社はその一つで大変古い神社です。

この神社の神紋は「二重亀甲に花菱」で出雲大社の神紋と全く同じで、

出雲系であることを表わしています。

御祭神は、木俣(こまた)神で、大国主命の最初の子です。

コトシロヌシやタケミナカタのお兄さんに当たる人です。

この神紋から考えると、

梶紋より古くからここに出雲から来て定着したのではないかと想像できます。

タケミナカタノミコトが来る前に、

既に出雲から少しずつ先にこの地へ逃げてきていた出雲勢力があるのではないかと

考えています。

そこで大変注目されるのは、上田市から千曲川下流の長野市豊野地区に

延喜式内神社の伊豆毛(いずも)神社があることです。


信州に古くからイズモという名前の神社があったのです。

縄文時代から弥生時代に移り変わる大変革期に、

出雲から信濃へ移動があった歴史を証明できる神社ではないかと考えられます。


賀茂氏


MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

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