どこで、いつから
自分じゃいられなくなる
自由じゃいられなくなる
、、、って
生きてきた道のりなんかに後悔はないんだけど
たらればの話を考えていると
どうしてこういう風にしか生きられなくなったのかなーとは考える
こういう風に
どういう風に?
それは私しか知らない
私しか知らないのだから
どうとでも好きに変わればいいのにって思ったりもするけど
でも根本的に
自分の好きなようにしかやりたくないって思ってる間は
変わりようがない
くほっほっほっほっ
ひゃひゃひゃひゃひゃ
とか
けけけけけけ
とか
言ってるけど
実際はすべてのことに対して
全く納得していない
まったく満足していない
でも
完璧納得
完璧満足
なんてもんが存在するのか?
そんなもんは存在しないと思うから
くほっほっほっほっ
とか
ひゃひゃひゃひゃひゃ
とか
けけけけけけ
とか
喜んでみている
今日は考える日
予定もつめつめなので、考えないと慌てる
いろいろなことが片付いて
4月11日までには
細かいこと片付いて
11日から1週間東京に帰ります。
東京に帰って、実家に帰って
あ、ばーちゃん、ほんとにいない、、、って
んーーーーーー
いないことない、、けど
まあいない。
不思議なことに父が亡くなった時より
母が亡くなったことのほうが現実味がない
だけど
死が
ぐっと近いものになった気がする
自分がそのうち死ぬってことじゃなくて
死ってものが
なんでもないものだって
思えたような気がする
死んでも生きてる
すぐに私の夢に出てきた母は
自分が用意した遺影の姿のように少し若返って
その隣には
似たような顔の似たような年かっこのおばちゃんが隣で笑っていたけど
あれは、母方のおばあちゃんかも、、、
私の記憶のおばあちゃんは
もうほんとにしわしわのおばあちゃんの顔しか記憶にないから
今回荷物運んできておばあちゃんの写真をまじまじで見ていたら
あれ?あれれ?って思った
おばあちゃん、しわしわって言っても
そんなに年を取って死んだわけじゃないの
多分50代後半で、母方のじ~ちゃんもばーちゃんもなくなってる
父方のじ~ちゃんもばーちゃんも50代だった。
我が家は短命家系
母は何で自分ばっかりこんなに長生きしてんのよっていっつもぼやいてた
あーた、突然でびっくりしたでしょー
って、やってきた。
ジェイスのところには
あーた、あたしびっくりしちゃったわよー
家で死んでる夢見たわよー
死ぬってああいう感じなのねー
って、やってきた。
よくやってくる人だ。
死んだその時も速攻で飛んできたしね。。。
どんと壁に手をつくような音
バサッと何か落ちる音
バキッと枝が折れるような音
母の名は
幸枝
枝が折れるとはこれまさに母のサイン
ああいう風に死にたいといつもいつも言ってはいたけど
本人マジでびっくりしたと思う
このねえ~
母の死でもって
なんか妙にいろいろ考えこむことが多くなったかな~と思う
私前にも書いたけど
10年サイクルで
住むところも仕事も変わってる
ただこの21年お店だけはやめてない
もしやあと21年続いちゃうかもしれないじゃん
それを視野に入れて、いろいろ考えたほうがいいのか
それとも
どこかのタイミングで
自由になってもいいのかーーー
2021
2031
10年後
私はいったい
何をして
どこにいるのか
2013年に白浜に来た
そこからすると
2023年
でも
白浜に移住しようと思ったのは
2011年
そこから考えると
2021年
なので、
2031年
そこをめざして。。。。
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