日記かね
半田広宣
@kohsen
時空を生者の世界と呼ぶなら、
素粒子世界とは死者の世界のことでもあるね。
だから、
日頃死者たちに思いを馳せていない人間は
素粒子世界とは縁遠い。
素粒子世界は生者と死者との交流を担う場所。
持続の世界なのだから当たり前。
持続においては
死者たちもまた共に生きている。
はあああああ、、、
疲れた、、、(じっと手を見ていると)
全力で応援されてる気がした。
こないだ氏神様のところで
『 お名前を教えてください 』
って、聞いた日から
この中心の丸が映るようになった
携帯の機種を変えたわけじゃない
昨日
白浜の電気、ガス、水道
3月いっぱいで止めてくださいと連絡入れた。
毎日
現実と
現実とはちょっと違うところを行ったり来たりしている
仮の時間
と、前に書いたけど
私思えば、
仮の時間
とか
しばらくしたら終わる日常
とか
そういうこと意識して生きてきたことが多い
常に
”今” が
永遠には続かないって思っている
常に
”終わる” ことを
意識して生きてるんだな
いつからだろう。。。。。
自分の思い通りに事が進まないと感じたときからだけど
それはいつからだろう
やっぱり
父の死と
子供ができたときからかな
末期がんになった父の看病をしたくて
それまで一人で自由に生きてきた時間を一時停止した
それなのに、実家に戻ったその日に父はなくなってしまった
マンションも引き払い
仕事も辞めて戻ったから
私には戻るところがなくなってしまった
その翌年にはジェイスを授かって母になって
私の時間を一時停止した
一時停止したからってすべてが止まるわけじゃなく
その時にできる最大限で生きてきた
お店を始めることができたのも
子供と一緒にいたいからだった
預けて仕事に行くなんて私にはできないな~って思ってたから
自分の家でできることを始めた
数年それで私の時間を生きていたような気もするけど
そのうち
猫ちゃんたちがみんな年で病気になって
猫のために、それまでの時間を一時停止した
でも猫と100%向き合う時間はとっても貴重な贈り物のような時間だった
毎日猫を医者に連れて行きながら、帰り道は猫と散歩して帰った
また赤ちゃんの子育てをしているような時間だった
最後の猫ちゃんがなくなって、2か月後に311が起きて
また私のすべての時間が
今度は
シャットダウンされた
模索しまくった
毎日が不安しかなく
逃げなくちゃと思った
そして、時間はかかったけど
ジェイスの卒業を待って白浜に移住した
この辺からは
すごく楽しかったんだけど
頭の中には常に
”終わりに向かう時間”
というような雰囲気が漂っていて
”明るい未来”
とか
”未来への希望”
とか
そんなものがなくなってた
”今” しかないじゃんね
もう
今まで以上に
”今” を
生きるしかないじゃんね
ってそう思った
思い出しか持っていけない
もしかしたら
思い出すら持っていけない?
だから写真を撮ることも少なくなっていった
ジェイスが小さい頃はあんなにたくさん写真を撮っていたのに
311以降
写真を撮ることも少なくなった
携帯でもあまりとらなくなった
インスタが出てきてからとってはいるけれど
それも残っていかない記憶のようなものと思ってとっている
今までも私は
店を大きくしようとか
店を成功させようとか
そんな風に思って仕事してきたことがないけど
今まで以上にこれからはそう思っていくんだろうって思ってる
なまじっかでかくして残されても困るだろうし
私の終わりに店も終わればそれでいい
母が亡くなって
いろんな意味で死が近くなった
あんなに突然逝かれてしまっては
今まだ東京で
いつものように文句たらたら言いながら
弁当屋に行ってる気がする
4月に東京帰ったら
『ふんふんふん♪
あーんた!ダイエーに買い物に行こう~
なーに食べたい?』
って、
鼻歌歌いながら、弁当屋から帰ってくる気がする。
私のこの仮の時間が本当に仮の時間で
実は私は別次元で生きていて
その間に起きたことはみんな想像の出来事で
4月に東京に帰ったら
∞
このマークのように
元の次元に戻れて
そして、
東京には今までの時間が流れてて
ん、なわけないか。。。。
母が亡くなってから
毎日すごくたくさんのいろんな夢を見る
私夢はいつも見るほうだけど
いつも以上に見てるし
思い返せば、
この家を買って目まぐるしくなってから
あまり夢を見ていなかったかも
仮の時間
別の時空
私の空間のようで
私の空間じゃない
もう猫ちゃんと暮らすこともないんだろうな。。。
猫ちゃんと暮らすことができないって、なんだろな、、、
そんなことをずっと、
へこちゃんたちがいなくなってから思っていたから
猫を見ないようにしてきたし
猫とかかわらないようにしていたかも
だけど今
2匹もいる
この現実すら
私の人生のプレゼント時間だ。
プレゼント時間ってことは
これからもまだまだ
”仮の時間” が
続くってことなのだ
なんだこれは?
この変な感覚
ある意味
『 生に執着がない 』
ともいえるのか?
まあ。。。
”生きる”
って
”死”
に
向かう時間だからね
誰でももれなく死んじゃうからね
年を取ったってことかな。。。。
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