鶏が嫌いな一族。

、、、、とつぶやいたら



そのお方からの導きで

すごいことを知ってしまった

これから検証するけど

これはすごい展開だわ



西宮に道君坊(道薫坊)なる翁がいて、

蛭子大神を慰めるために小さい人形を作って舞わしていた。

是が西の宮夷かきのはじまりである。

さてその後、道君坊が病気で亡くなると、海が荒れて漁が出来なくなったので、

百太夫という人が道君坊の人形を作って、神の前に舞わせると、荒風が静まった。




淡路人形芝居の起源について、

淡路座が大切に伝えてきた『道薫坊(どうくんぼう)伝記』とよばれる巻物に、

摂津西宮の百太夫(ひゃくだゆう)という傀儡師(かいらいし)が

淡路の三條(さんじょ)村(南あわじ市市(いち)三條)に来て人形操りを伝えた、

という伝承が書かれている。

三條には、淡路人形の祖先神である道薫坊や百太夫を祀る戎社があり、

今も正月には社前で『式三番叟(しきさんばそう)』が奉納されている。

どうくんぼう

道薫坊=道君坊


道君の末裔か。。。。


くぐつの祖神、百太夫は子供の守り神





道君坊百太夫が人形を採って、

幼きえびす様を. 教え導いたことが人形操りの始めとされ、

道者をお祀りする百太夫神社が、幼きこどもの守り神とされる

睡魔にも襲われてきた

きてますな、、、、


ちょっといったん目を閉じてこよう


「道薫坊伝記」 : 淡路人形の始祖伝承 - 同志社大学

長野県上伊那郡箕輪町上吉田にも現存すると報告されているが未見である。

上伊那郡箕輪町

https://www.google.com/maps/search/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E4%B8%8A%E4%BC%8A%E9%82%A3%E9%83%A1%E7%AE%95%E8%BC%AA%E7%94%BA%E4%B8%8A%E5%90%89%E7%94%B0/@35.9029577,138.0257826,13z


コトシロヌシ臭ぷんすか


伊那市といえば


私の感じる

タケミナカタと手長足長の里



「道薫坊伝記」

 ある日、蛭児(ひるこ)が和田岬の沖合で光っているのを邑君(むらきみ)という漁師が見つけた。光の奥に2~3歳くらいの神の子があり「我は蛭児だ、海浜に仮宮を建てよ」と神託した。

そこで建てたのが後の西宮大明神である。この宮に道薫坊(どうくんぼう)という人がいて、蛭児によく仕え神慮にかなって世の中は太平であった。

しかし、道薫坊が死んでからは神を慰めるものがいなくなったため、漁も不振、陸も海も不穏な状態になってしまった。

そこで百太夫という人がそのことを藤原長者(近衛殿)告げると勅が下り、百太夫は道薫坊の格好や顔をまねた操人形を作って神を慰めると、世の中が穏やかになった。

百太夫は道薫坊とともに諸国をまわって神を祭った。そして、百太夫と道薫坊はイザナギ・イザナミの国生みの地「淡路島」の三原郡三条村(現三原町)に立ち寄り、その地に足をとどめた術伝え、死後西宮の傍らに葬られた。

大日本は神国である。故に神慮を慰める者を以て、諸芸の首となる。後人はこのことを軽んじてはいけない。軽んじては神慮に背く事である。後人恐るべし。

蛭児とはイザナギ・イザナミの最初の子で、不出来であったため舟に乗せられて海に流された子である。そして、その子を和田岬、現在の神戸市の沖合に見つけたところからこの説話ははじまる。

そしてこう説かれ、こう結ばれる。

「人形操りは神を慰め諌めるものだ。だから神国日本にあっては人形操りこそナンバーワンである。人形操りを軽んじることは神を恐れぬ所業である。誰もが恐れ敬わなければならないのだ」

全国を旅する彼らは人形操りをシャーマニズムに結びつけ、その伝統と権威を強めようとした。そして、そもそも古田人形も天災を治めるためのシャーマニズム(上古田の場合は、戌亥嵐=北西の嵐を治める風除け祈願)がその始まりであるのは、この話の始まりに「乍恐以書付奉願上候口上之覚」にて解説したとおりである。

この「道薫坊伝記」は伊那谷に3つ発見されており、当時人形浄瑠璃が盛んであったことがうかがえる。そして多くの淡路出身と思われる人形遣い達が伊那谷に足を踏み入れたこともうかがえるのだ。





そうそう、、、

うちで祠が見つかって

その祠に巻き付いている木を切ったほうがいいか否かを

体に出るんじゃなく夢かなにかで教えてください。

といった翌日に

朝、外に出てみると

のこぎりを持ったおばあさんが歩いていたって前に書いたよね

そのおばあさんとはその前にあっているから見知らぬおばあさんじゃないんだけど

こないだ、隣のおばちゃん地にお茶に誘いに来てくれて

その時に知ったことがあったから書いておこう。


なんとそのおばちゃんのお家は

ここら辺の氏神様の神社の入り口に立ってたお家の方だったの

祠が出たときに、氏神様にお参りに行ったときに

すごいとこにお家があるなあ。。

裏の氏神様を守ってるお家なのかな、、なんて思っていた

そこのお家のおばちゃんが氏神様に使わされたのかしらね

朝、のこぎりを持って歩いてるおばちゃん

ふと、このおばちゃんに聞いてみようと思って

おばちゃん~裏に祠が出てきたんだけど、ちょっと見てくれる?って

で、それを見たおばちゃんの第一声が


『あら~~~~

これは

”やっぱり” 

切ってほしいよ~』


”やっぱり”


これは切ってもいいんじゃない?って言葉だったら

おおおおおお、、、ってならなかったのよ

切ったほうがいいか切らないほうがいいか教えてください。

との問いには”やっぱり”

”やっぱり”

がつくでしょう。。。


以心伝心エネルギー

これは、うちの母が亡くなる前も、亡くなった時も痛感したこと



ちょっと話がそれてしまったが

道君坊についてはまた今晩帰ってきたら調べるよ


これもすごいね。

一人興奮して

眠くて眠くて頭がぼーーっとして何も考えられずに昨夜は布団に入ったよ

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