やっと一緒になれたね



1/9 6:00前後

母 逝く 82歳。


悲しいけど

母はもうこの何年もずっと元気にしてはいたけど

いろいろつらいしさみしいし

何とも言えない感じで過ごしていた

でも、頑張る人だから、

絶対85歳までは働くんだって言って

ずっとずっと頑張ってきてた

それまでにこのくらいのお金もためる!

そのために頑張るっていって

たくさんたくさんいろんなことを我慢して

日々を生きていた

死ぬ直前まで働いてぽっくり行くのよ!

ずーーーっと何年もそういっていた

悲しいけど


ほんとにその通りになった

自分の思うような最後を

有言実行だ。


せっかくあともう少しで母と新居で暮らして

あっち行ったりこっち行ったり

母と二人楽しい時間を過ごそうって

過ごせるって思っていたのに


家に急いで帰ってみると

パパの写真

母(おばあちゃん)と妹たちの写真

私(自分)の写真

って書いた封筒があって

そこには見たことがない昔の写真が

たくさん入って

仏壇の引き出しを見ると

遺影用の写真もきちんと用意してあった


黒いはおり物を着てる写真を探したのかな

きっとそうだね。

自分の最期をきちんと自分で

何から何まで用意して。

古い見たことない写真を眺めていると

はじめて、

あ、、この人はただのぼーっとした性格の

おばちゃんじゃなかったんだなって

初めて知った、、、、かも。。

若い頃よくケンカして

ママに何がわかるか、なんて言ったりもしてたけど

そのたくさんの若いころの写真を見てると

パパという大きな傘の下ではあるけど

それにしても何でもかんでもやらされて

スナックのママから不動産屋の事務員、

小料理屋のおかみ

それをちゃんと自分で切り盛りできるようになって

今もずっとお弁当屋さんで働いていたけど

あたしがいなけりゃ店なんか回らないのよ!!!!っていつも言ってたけど

ほんとに昨日は臨時休業になってた

もう当分休むかうまく回っていかないだろうね

びっくりしたよ

ママ

ほんとだ。ね。




1月9日1:00過ぎから

夜中からずっと電話でしゃべってて起きてたんだ。

私はめまいが止まった後もヒートショック怖いからすごく気を付けてた。

自分の家のトイレにも風呂にもストーブ置いた。

すごくすごくずっとそれに対して

不安が付きまとってたような感じだったから。


そしたら





自分じゃなくて




母だった。





多分母は亡くなるその時、

私の家に来てたわ

壁に手をどんとついたような音と

少し離れた階段の降り口のあたりで

物が落ちる音と

そのあとバキッと何か壊れる音

6:38くらいだったと思う。


1月9日の8時に

新居のキッチンの水出したらでなくて、

水道管が凍ってた。

明け方の冷えと冷たい風で凍った

そのくらい寒かったのは

別に私の家だけじゃない


東京

2021年1月9日(土)最高気温8.4 最低気温-1.5

https://weather.goo.ne.jp/past/662/00000109/



1/9 6:00前後

母 逝く 82歳。



母は7日に医者にかかってる

顔色がすごく悪かったから、

職場の人が医者に行ってきなって言って

いったけど混んでいたので帰ってきた。

仕事終わりに医者によって

胃薬と抗菌薬をもらってきたから、

もう安心だわって連絡してきたそうだ。

そしてその薬を飲んで、7日、8日

薬を飲んで、1日半。

抗菌薬とは抗生物質でしょ、、、、


職場の人に聞くと

おしっこが出なくなって、そのうち血尿が出て

寒くて寒くて、

もういつもストーブに張り付いてるのよ

って言ってたと聞いた

私がそうなったときと状況は全く同じだ



虚血性心不全


低気温・低体温

抗生物質 副作用

高血圧 不整脈 過呼吸




全部足すと

なりえる

虚血性心不全




そうなってしまうのは意図的に出され続けてる

ㇹに似たもの


コロナで急変して死んだってされる人も

これがほとんどだと思う。


受け止めきれない

防げたかもしれない


そう思うと悔しくて仕方がない


でも母は予感していたかもしれない

すべてを用意していたところを見ると

自分でわかっていたかもしれない

そうなんだとしたら

母はきっと


あーやれやれ

やっとだわ

やっとよ

もーこれで我慢して仕事しなくていいし

お金なんかもうーーいらないわー!!

やっとパパのところに行けるわよ

お墓も広く新しくなったし

やっとまた一緒になれるわよ

って、

すごく喜んでいるんではないかと思う


あとのことは心配だし私たちのことは心配だけど

きっともう大丈夫。って思って


いつもパチンコ行く時は

手をひらひらさせて鼻歌を歌いながら

ルンルン飛ぶように歩いてた

きっとそんな感じで

一足先に和歌山へもう行ってるかも




私がいつでもこっちに来ればいいじゃん

って言った後に

母は妹のところに電話して

母の妹も

旦那さんのが先に行ってしまって一人だから

律子も一緒に和歌山に来ればいいわ

って言ってくれて

ほんとにそうできたらよかったのよー

って泣いてた



本当は今年、

腹違いの兄、姉たちと母と息子や弟と

みんなでそろって

きれいになったお墓に集まって、

新居にみんなで集まろうって

約束してたんだ。

たぶん私と性格似てるから

和歌山行くときはもう仕事もしないでいられるーー早くいきたいーー!

ってそう思ったら、

もう行きたくて行きたくて

仕方がなくなる性格だから

一足先に行ってしまったんだわ。

待ちきれなくて。。。。。


あとからあとから

悲しみや悔しさに襲われるんだろうな

思い出すとダメになってしまいそうだから

しばらくはママのことを

思い出さないようにしていいよね?

しばらくは弟や息子を支えなくちゃだしさ

 

私もママを見習ってこれからも

頑張るよ

もっともっと頑張るよ



父が死んだときも、そうだったんだよね。

これからってときに

なぜ死ぬかなあ

これからってときにさ。。。。。


これからっていう予定を、

未来を想像してたんだよ

ああしてこうして、

ああもできたらいいなこうもできたらいいね


それ全部が

白紙になってしまったじゃないか、ママ。


全部全部白紙になってしまったよ。。。



家を買った意味さえ、


なくなったじゃないか


一人和歌山にいる意味さえ


なくなったじゃないか




新しい未来を。。。。。


頑張って描くよ。。。。。














MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

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