少しずつなら画像UPできる

本題はそれじゃなくて

またここ

ダイレクトヒッツ


しかもふとツイッター開いた2番目がこれで

開くほんの10分前くらいに揺れてた


さんざん調べてる場所だけどね

きっとまだまだなんかあるんだね



1701年(元禄14年)、厚岸場所を分割しキイタップ場所(後の霧多布場所)が

開設されたのが町の始まり。


1831年(天保2年)2月20日、国籍不明の異国船が厚岸場所ウラヤコタンに碇泊し発砲。

同月22日厚岸勤番谷梯小右衛門ら60人が異国船の小船一艘と交戦となり、

異国軍追加四艘による攻撃により退却。(ウラヤコタンの交戦) 

異国軍は番屋を焼き、小右衛門の部下一人とアイヌ先住民一人を捕虜にしたが、

3月3日になり捕虜は書簡と食糧を持たされて釈放され、異国軍は撤退した[3]。

1869年(明治元年)、北海道11国86郡が置かれ、

現在の浜中町に相当する地域は釧路国厚岸郡に含まれた。


同年、榊富右衛門がアシリコタン(現在の榊町)に漁民を定住させ、

漁業が開始された。

榊町は港に適さない地形だったため、町の中心地はのちに霧多布へと移っていった。


1872年(明治5年) 開拓使根室支庁の所轄となり、榊町に浜中出張所が開設される。

1879年(明治12年) 榊町に戸長役場設置。

1884年(明治17年) 榊町戸長役場廃止、後静村、琵琶瀬村、霧多布村、散布村の四村に分割。

1886年(明治19年) 霧多布外一町四村戸長役場設置。

1906年(明治39年) 二級町村制が施行及び改称、浜中村となる。

1919年(大正 8年) 一級町村制施行、浜中村。

1951年 (昭和26年)茶内市街地に存在した大原劇場(映画館)で火災。42人が死亡[4]。

1952年(昭和27年) 十勝沖地震の津波により、村が壊滅状態となる。

1960年(昭和35年) 1960年チリ地震の津波により、村が再び壊滅状態となり11人が死亡した。

1963年(昭和38年) 根室市との境界変更。町制施行、浜中町となる。

1999年(平成11年) 霧多布温泉開湯。

2011年(平成23年)ルパン三世通り開設。



MixEthnicJamanese

アジア、アフリカ、ヨーロッパから 集めた素敵ショップ。 人と同じもの着たくない 個性派の集う店。 メイン商品として1点モノインポートを扱っています。

0コメント

  • 1000 / 1000