なんだかとてもすごいのだ
とても凄過ぎて
理解しきれない
もう9時だ。。。
今日はもうお風呂は行って寝よう
とても眠いのだ。
田辺市中心部の東方、紀伊新庄駅の周辺にあたる。西で東山・あけぼの・南新万・新万、北で中万呂・上万呂・下三栖・城山台、東で神島台・たきない町および西牟婁郡上富田町岡・生馬・朝来・岩崎、南で同郡白浜町堅田に接する。北部を紀勢本線と国道42号・田辺バイパスが東西に横断し、東へ和歌山県道31号田辺白浜線、南へ和歌山県道33号南紀白浜空港線が分岐する。また、北西部を和歌山県道216号温川田辺線が通過する。
海洋
田辺湾
跡ノ浦湾
内ノ浦湾
島嶼
神島
二本松
鳥島
山岳
高畑山
竜神山
河川
稲成川
荒光川
幕末 - 牟婁郡新庄村が存在。「旧高旧領取調帳」の記載によると紀州藩附家老安藤氏領。
慶応4年1月24日(1868年2月17日) - 安藤氏領が立藩して田辺藩領となる。
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により田辺県の管轄となる。
明治4年11月22日(1872年1月2日) - 和歌山県の管轄となる。
1879年(明治12年)1月20日 - 所属郡が西牟婁郡に変更。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の新庄村が神子浜村の一部を合併のうえ単独で自治体を形成。
1954年(昭和29年)2月4日 - 新庄村が田辺市に編入。同市新庄町となる。
1977年(昭和52年) - 地内より新万が起立。
2000年(平成12年)8月1日 - 地内より城山台が起立[2]。
菅原神社
河内神社
大潟神社
稲田神社
山祇神社
東光禅寺
三河安藤氏
安藤 直次(あんどう なおつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。紀伊国田辺藩(紀州藩附家老)[2]初代藩主。官位は従五位下・帯刀先生。慶長5年(1600年)から元和2年(1616年)までは幕府老中を務めた
跡の浦
浜本さん何軒もあったわ
山下清左衛門氏 濱本助七君は、当時、跡之浦の字長でしたが、自分の家が遭難しているに係らず、よく字の爲めに盡して呉れました。最初の炊出しに、米を一俵出して呉れたのは、濱本さんです。それもどうやら、寄附になうて仕舞つた様です。村の炊出しの勘定の時、申し出すればよかつたと思います。
が,あの方としては、最初から、寄附の心算であつたのでしよう。
司會者 陰徳とでも申しますか、常日頃の濱本さんの氣質が、よくわかります。尊いことです。
↑
この山下さんとはお隣のオバちゃんのだんなさんだ。
おばちゃんが良くしてくれる背景は
私も"濱本”だからなのかもしれない
ってことは、
津波にも耐えたのか、この祠は?
急げ!!あわてるな
【上段】
山下清左衛門氏 はじめの地震に、喫驚しました。が、何故かしら、次に大きな奴が来るのではないかと、心にかかりました。で、子供や家内の者に、服装を整えさせ、それから、私一人、海を見に行きました。「大丈夫だ、心配する事はない」と、わざと一同を安心させる様に言つて置いて……。所が、潮が遠方で、ザーツと昔がして、ほえ廻つています。直ぐに馳せ帰つて、子供達を横手の山へ避難させ,布團、米其他の物を運び出し、家内と子供と、リレー式に高所へ運ばせました。危急の場合、家族の者を、安心させ、落ちつかせる事が、肝心です。急げ!あわてるなです。隣家の南秀一君が「位牌を出したかア」と,叫んでいるのを聞きつけました。一片の木片に過ぎない竜のをと、笑い捨つべきではありません。先租に封する敬虔な心持を、泌々と感じました。
中井竹吉氏 空襲の苦い経験を甞めた後でありました爲,重要な書類など一とまとめにしていましたので、あわてなくて持ち出す事が出來まtた。今後,地震にでも火事にでも,この経験は非常に尊いと思います。
上田幸吉氏 私は当時部落会長をしていたものですから、一軒々々、「逃げたかあ」と云つて歩きました。その爲に。丸橋の横手まで駈けて行つたとき、アブキに似た汐がどんどんどん差し込んで來て、履いていた長靴が、すつかり水につかりました。
【下段】
中井竹吉(故人)
新庄町二〇二八番地(東名喜里)
上田幸吉(故人)
新庄町四〇五番地(橋谷中字)
山下清左衛門(故人)
新庄町二六九三番地(東跡ノ浦)
昭和二十一年十二月二十一日午前四時過ぎ
昭和20年 12月 21日
12/21といえば
そうよね。
https://ddnavi.com/news/107566/a/
祠の神様のお知らせかな、、、、
12月21日は気をつけていたほうがいい
信じる信じないはあなた次第だし
東京
米軍は
情報速報ドットコム
@jyouhoucom
5時間
在日米陸軍が首都圏をコロナ危険地帯に認定へ!東京・神奈川・千葉は立入禁止区域に!
150キロ圏内でも自由行動制限 https://johosokuhou.com/2020/12/05/41005/
言い換えれば封鎖よ。
さてどうしよう
こんな事を言っても信じないうちの東京の家族達。。。
さっきそういえば浦賀が揺れてた
[速報LV1]05日 13時57分頃 浦河沖(N42/E142.5)(推定)にて M4.6(推定)の地震が発生。 震源の深さは推定56.8km。#saigai #jishin
なんか、濱本の名と跡の浦の谷口の氏神様が必死で教えてくれている気がしないでもない
数時間でいきなり悪化した膀胱炎と
それで2日間飲んだ抗生物質で起きたかと思ったひどいめまいと吐き気と
見つけた祠の神様は
地の神様で
12月15日が地の神様のお祭りの日
この日しっかりおまつりしなければ。。。。。。
浦賀といえば
三浦半島
三浦半島といえば
三浦一族
三浦氏
三浦といえば
今は三浦春馬だ
鏡の中の春馬君
man in the mirror
日曜日帰ったら、宮司さんも来るから
いろいろ聞いてみよう。。。
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